Symposium 2004 : 1
司会: 続きまして、吹き付けアスベストの中でも特に吹き付けロックウール・岩綿のアスベストが広く問題になりました練馬区の話題について練馬区議員の池尻さんにお願いします。
池尻: こんにちは。練馬区議会議員の池尻です。今日は、岩綿吹き付けのチェックは大丈夫かというテーマをいただいていますが、永倉さんがお話されたので補足としてお話致します。
資料の最後から2枚目の裏は昭和63年・1988年の教育委員会発行の‘教育だより'と‘練馬区報'の写し(PDF)です。この時期全国的に吹き付けアスベストが大きな社会問題になりました。その中で練馬区はおそらく全国で最も大量の吹き付けアスベストを確認し、かつ、最も進んだ除去対策を採ったと思います。その時の除去対策の結果が資料の‘教育だより'には『小学校22校、中学校11校の石綿(アスベスト)を除去し、小・中学校に使用されている石綿(アスベスト)の撤去を完了します。』とあり、'練馬区報'には『すべての小・中学校からアスベストを撤去』と書いてあります。
この時点での、アスベストを撤去し終わった、という認識は必ずしも悪意のあるものではなかったと感じています。このような形で1988年当時吹き付けアスベストの問題は終わったというのが行政の中でも区民の中でもかなり広がりました。
しかし、実際には吹き付けアスベスト問題は、小・中学校に限定しても、終わってはいなかったというのが昨年来の練馬区の問題です。終わっていなかったという場合には、やはり何が終わっていなかったのか、どうして終わっていなかったのか、ということを整理する必要があります。
何が終わっていなかったのかということでは、資料の‘練馬区の吹き付けアスベスト等調査の概括(PDF)'を作りましたが、実は吹き付けアスベストの調査は1回では終わらずに調査に調査を重ねたり、前の調査を改めて再調査したり、何度も行われました。大きく別けると3つのステージになります。
最初の調査は1987年で、文部省の通知に基づいた小・中学校の調査がありました。このときに6万m2を超える吹き付けアスベストが確認されました。この1回目の調査では、いわゆる固有の吹き付けアスベスト、吹き付けロックウールや吹き付けひる石などを除いた、吹き付けアスベストのみが、しかも全ての施設ではなく教室等に限り行われたのです。このように限界のある調査であったということを区や関係者が十分に自覚しないまま、15年が過ぎました。
2回目の調査は2002年の12月から2003年の3月まで行われました。この時に何が変わったかというと、調査の対象が吹き付けアスベストから吹き付けロックウールと吹き付けひる石の3つに広げられました。もう一つは小・中学校の教室などに限定せず小・中学校の全ての施設についてこの3つの製品があるかどうかを調べました。このような調査を組みなおした理由ですが、『旧建設省の指導マニュアルでは、昭和55年以降生産の吹き付けロックウールにはアスベストは含有されていない』とされていたため1982年以降建設の学校は最初から除外されていたからです。この調査では3万m2の吹き付けアスベストが発見されました。これは1回目の半分の面積でかなりの広さでしたが、これでも、漏れがあることが確認されたのです。
そこで、第3回目の調査が2003年の暮れから2004年の春にかけてかなり大規模に行われました。3回目の調査は3つに分かれていまして、資料の(1)の調査は昨年から今年にかけて工事をする施設について緊急に再調査をする、(2)は1981年以降の小・中学校について緊急に調査を行うというもので、(3)は全ての施設についてもう一度洗い直しをする、というものでした。この調査の対象製品は、第2回目の3つの製品に加えて、下に書いてあるようなアスベストを含有する様々な吹き付け材も含めました。およそアスベストがあると思われる疑わしき製品は全てチェックするという構えで調査を行いました。3番目の調査は最終的には1996年以前の建物に限定しましたが、備考にありますが、1995年にアスベスト含有率1%以上の吹き付けロックウールが禁止されたので1996年以降のものは外してあります。この3つの段階の調査を経て、全体で5万m2強の吹き付けアスベストやアスベスト含有材が確認されました。
もともと練馬区は当初からここまで踏み込んだ調査をするつもりはなかったと思います。議員になる前に永倉さんと一緒になって区と話し合いをした過程でも、区の姿勢は決して積極的であったとは言えません。やりとりをして議会や区民の声を聞く中でここまで踏み込んだのでした。この調査がどれほど踏み込んだものかということを自分なりに考えてみると、一番のレベルの調査をやっているのは公立の小・中学校だけです。もちろん、一般の公共施設や民間の建物ではこのような調査は全く行われていません。2回目や3回目の調査になると、公立の小・中学校でここまで調査したのは全国に一つもないでしょう。よくここまで踏みこんだな、というのが正直な実感です。ある意味では練馬区にとっては降って湧いたような問題であったのですが、それなりに対応し努力してくれたと思います。評価したい気持ちはあります。
ただし、アスベスト問題に関心のある一人の区民と言う立場を離れて議員として見ると実は非常に複雑です。このアスベスト対策にかかった費用は14〜15億円になります。まだ終わっていませんのでもう少し増えるかもしれません。もう少しきちんとした調査が当初からなされていたら、このような事はなくて済んだのでは、ということが沢山あるのです。もし本当に、1975年に吹き付けアスベストが製造禁止された時直ちに、除去とは言わないまでも、現に存在する吹き付けアスベスト対策を採っていればずいぶん違っていただろう。そこまで行かなくても、1987年にわずかな製品に限定しないで、一部の施設に限定しないで、もっと幅広くアスベストの危険性を周知し警告だけでも発せられていたら、その後問題は違っていたであろうと思います。悲しいことですが、1987年に社会問題化し調査された、まさにその時に新しい中学校が作られその学校には吹き付けロックウールが大量に使用されました。このような愚かな事が起こったのです。さらに、この1987年にアスベスト問題が終わったという認識が振りまかれた為に、その後子供たちは曝露のリスクを知らずにアスベストを傷つけましたし、なかには練馬区自身が違法工事を行ってしまうことさえ起こりました。実は、回避できたリスクや負担が非常に多いのがアスベスト問題の大きな特徴ではないかと感じています。
そういう意味では、終わっていない事を確認することだけでなく、何故終わらずにここまでズルズルとアスベスト問題が引きずられてしまったのかをきちんと考えなければならないのです。対策が採られたことは良いことで、強くそれを求めてきた経緯も事実もありますが、この対策の為に使われた財力・人的な費用・時間を考えると、深く反省すべき事が沢山あることを強く感じています。
何故終わらなかったのか、については、一つは当然練馬区の責任があります。建物を立て管理をする責任は区にあります。しかし、実際に区と話をしていると、区自身がどこにどんなアスベストがあるかを十分に知らされていない、知りうる状況に無かったこともかなりあるだろうと思います。最終的に、名前を理解するだけでも大変な物、砂壁状の吹き付けなど、いろいろな形でアスベスト含有の吹き付け材が出てきました。区は全てそれをチェックしました。区はその時にどうしたかというと、実は、環境省や厚生労働省のマニュアルは頼りにならず、マニュアルには無いものを自分たちでチェックして行ったのです。2〜3日前に確認しましたが、営繕課の課長がどのようにしてチェック品目を選んだかという資料を持ってきました。それは‘アスベスト対策情報'が当時の厚生労働省か何かとの交渉の中で石綿対策全国連やアスネットが『このような品目を調査せよ』と要望していた中に書いてあったものです。これをわざわざ練馬区が拾ってきて調査対象に盛り込んだのです。区がここまでやったことは偉いと思いますが、そこまでやらないとわからない。逆に言えば、そのような情報を提供してこなかった国の責任があります。もっと遡れば、自分が製造した物・吹き付けた製品について、それがどのようなリスクを環境中におよぼすかということをきちんと説明もせず、責任も取ろうとしない業者の問題をこれからは問う必要があると思います。
今、拡大生産者責任など製品の持つリスク・有害性を消費の過程まで含めてきちんと責任を取ってゆこうという流れがあります。アスベストはこのような流れとは全く無縁なところにあります。アスベストについては、情報開示も含めて、自分たちが作り、自分たちが吹き付けたアスベストについて最終的な責任を問うことを業者に求めたいし、後追いの対策に終始してきた国の責任も問うて行きたい。その中で改めて自治体としての課題と今後の取り組みを整理して行きたいです。
司会: 有難うございました。シンポジウムの結論的なことも言っていただきました。