Symposium 2008/08/28
これで患者が3人です。ますますおかしい。なんとかせんとあかんと思っていました。ところで、全く別ルートで2004年の11月に45歳男性の中皮腫の兵庫医大の患者さんと知り合っていました。その方は、やはり職業曝露は見あたりませんでした。3人のクボタ周辺の中皮腫患者を知るようになるなかで、この、45才男性患者のことを疑うようになりました。中学校2年迄、クボタ近くの小学校、中学校に通っていたということを聞いていたからです。2005年の1月に入って、患者と家族の会を開いたときに来ていただき、その辺の事実関係を家族に確かめて下さいとお話ししました。2月に入って、この方と連絡が取れないようになり心配していましたら、3月初旬に急逝されたことがわかりました。
これはやばいぞということで尼崎労働者安全衛生センターの事務局長で、当時市会議員の飯田さんという方に、ぜひクボタに話を通したいという相談をしました。飯田さんも始めは半信半疑だったかもしれません。飯田さんはクボタ出身の同僚議員を通じてクボタに話を持っていきました。そうすると、クボタの担当者が飯田さんの所にすぐ来ました。
クボタも始めは資料をほとんど出さないという対応でしたが、飯田さんが1,2回折衝して急に態度が変わり、「すべて資料は出します、患者さんともお話をします」と言って来て、今年の4月26日に最初の3名の患者さんとの話し合いが成立しました。
資料を見ると、神崎工場では中皮腫で46名死亡している。僕らはびっくり仰天したわけです。どういう石綿をどの時期からどういうふうにどのくらいの量を使っているかの非常に詳細な生産量のデータも出してきました。その後、いろいろあり、結局6月30日に、クボタが見舞金を支給することになりました。
後は皆さんご承知の展開です。これが、実際のクボタの経過です。ですから、いろいろな偶然が重なって、こういうことになったということです。
その直後から、多くの相談が舞い込むことになりました。クボタ周辺の中皮腫の患者さんの相談も非常に多く寄せられました。尼崎市にもクボタ側にも電話がいきました。尼崎市は我々の電話番号を紹介しているし、クボタも本人の同意を得て、安全センターや支援団体に連絡をするようにしまして、我々の方に相談を集中しました。我々の方でその相談を聞いて、確認作業をやっていくということになりました。
それで7月の段階で20人、30人と数が増えましたので、これはもう何とかしなくてはということになりました。3人も5人も近くの地域に患者が出るということですから、因果関係は、こんなものはじめからわかっていることでした。クボタの内部の労働者には死亡に至れば3000万円以上の一時金が下りるという制度もありまして、私たちは、少なくとも塀をまたいだ外の人に対しても、クボタは同じようなことをしなくてはいけないという考え方でいました。そこで、数が増えていくということ自体が因果関係を証明しているとは思いますが、ぎりぎりの話になった時には因果関係の問題が大事になるだろうということが容易に想像できましたので、その調査を、我々とは全く別の方で、信頼でき、アスベストに詳しい疫学の専門家に依頼することを決めまして、奈良医科大学衛生学教授の車谷典男先生に依頼することにしました。
ここからの報告は、車谷先生に中間的な内容でもいいから報告できないかということでお願いしたものです。作成者は車谷先生で、中間報告、概要ということで、私はそれをお伝えする立場です。
対象者、経過、調査項目、調査方法はこの通りです。
主な結果ですが、8月23日の時点で55人の面接を終了しました。療養中が計8人、亡くなった方が47人、47人の内訳は胸膜中皮腫46人、腹膜中皮腫1人です。平均年齢は56.5歳、死亡者は死亡時年齢です。在住期間は平均13.6年。これはクボタの中で、青石綿を使用して水道管を作っていた時期が昭和32年から昭和50年ですから、その期間における居住期間について、平均在住期間を算出しました。また、職業性曝露が否定できない人も居ますし、住所が番地まで特定できない方も居ますので、そういう方、55人の内、9人については精査中という報告を受けております。