クボタ周辺の患者、家族の相談から

Symposium 2008/08/28

クボタ周辺の患者、家族の相談から(1/3)

 まずはこの間の経過を説明します。古川和子さんという患者の家族の世話人で活動している方がいます。彼女が2003年秋頃に関西労働者安全センターで活動をはじめました。その秋にちょうど中皮腫・じん肺・アスベストセンターが発足し、アスベスト問題が徐々にマスコミの目に触れるようになってきました。2003年末にNHKラジオがアスベスト問題を放送しました。

 その放送を、JRの機関車運転士でディーゼル機関車補修作業で中皮腫になった立谷勇さんという方の親戚が聞いていて、それをきっかけにご家族が2003年末、東京の事務所に電話をかけてこられました。相談は関西にまわされ、年明け早々に古川さんが立谷さん宅にかけつけました。彼は3ヶ月程で労災認定されます。

 その後、また、6月にNHKラジオがアスベスト特集を放送しました。このときは立谷さんや古川さん、村山武彦先生、世界アスベスト東京会議のことなどが盛り込まれました。このときの放送を、大阪のドキュメンタリー工房というドキュメンタリー会社の社長さんが聴いていました。「アスベスト問題は大きな問題になる」ということで取材を始め、ここのディレクターで野崎朋未さんという方が古川さんを訪ねてきました。古川さんは取材を受け、患者さんを紹介してくれないかということだったので立谷さんを紹介しました。

 その取材後に、野崎さんから古川さんに、患者さんが集まっている病院は無いかとい うお尋ねがありました。古川さんは中皮腫の患者をたくさん診ていた兵庫医大を紹介しました。野崎さんたちは兵庫医大に取材申請をし、手術の取材をお願いしたということでした。その取材対象が、最初にクボタ問題で記者会見した方の一人、土井雅子さんでした。

 今年1月29日に放映されたドキュメンタリー工房・朝日放送制作『終わりなき葬列』の1シーンで、左が土井さん、右が古川さんです。手術取材の後、ディレクターが我々の事務所に来ました。この土井さんがアスベストをどこで吸ったかわからない、会っていただきたいということでした。僕もいっしょに会って話を聞きましたが、土井さんの職歴はウエイトレスをやり、結婚後はたこやき屋をしていたということで、アスベスト曝露歴はさっぱりわかりませんでした。事務所に帰ってきて、これは吹き付けアスベストを吸ったのではないかということを考えました。土井さんは尼崎市立の小、中学校に通っていました。市教委を通して調べましたが、違うことがわかりまして、またわからなくなりました。

 ある日、事務所で机に地図を広げて古川さんと2人で見ていました。

 土井さんは近くの浜小学校、小田南中学校、小田北中学校に通っていました。こういうところに通っていたんだなということで見ていたわけです。すると地図にクボタと書いてあるじゃないですか。私は昔からクボタでアスベストの被害者が出ていたということを小耳に挟んでいましたので、「クボタ違うんかなあ」と言いましたら、古川さんが、「絶対それクボタや!」と言い出しました。そんな言い方せんでも、とちょっと反発も覚えながらも、「そうかもしれんな」と言いました。

 そうしたらそのうち古川さんが、「私クボタの周りに調べに行ってくるわ」と聞き込みに行かれ、野崎さんたちがカメラを持って同行取材したんです。肺の病気になった人の話を探しに出かけたわけです。その時に、たまたま地図の矢印の先のガソリンスタンドに休憩に入りました。

 これも『終わりなき葬列』の1シーンです。古川さんの質問に答えて、この店員の男性が「社長なん違うの?」と言うシーンです。何の病気かと聞いたら、肺がんということでした。このときは、「社長」にコンタクトをとることが出来ずじまいでしたが、その後、少々紆余曲折があって、最後に、その「社長」、中皮腫患者の前田恵子さんと出会うことになります。

 ともかく、このとき古川さんはすごい勢いで事務所に来て「えらいことや」という話になりました。確かにこれはおかしいなと皆思い始めたわけです。

 左側の方がその、ガソリンスタンドの経営者の前田恵子さんです。前田さんと古川さんが出会うのがだいたい2004年の年末くらいです。そして、野崎さんたちのドキュメンタリー制作が一段落して、今年の1月末の深夜に放送されるに至りました。

 この男性はAさんという方です。この方は中皮腫で片肺全摘をして、その時は退院されていました。実は入院中に隣にクボタの患者さんが居たということです。アスベストを吸ったことはないかと医者に聞かれて彼はさっぱりわからなかったのですが、クボタの患者さんが居るらしいというので、クボタに疑いを持ったそうです。そういう時にドキュメンタリー番組の放送があって彼の友達がこれを見ていました。そこで「お前と同じ病気の女性で、しかもお前の家の近くの人がテレビに映っていたぞ」というわけです。前田さんはこの辺に長いこと住んでいましたし、Aさんのお店も知っていました。Aさんも前田さんのことは知っていたわけです。それで前田さんの方にAさんの話が入りまして、僕らもAさんとお会いし、今述べた一連の経緯を聞かされました。

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