追加資料 : 第II編 第4章

Appendix: II-4

1. 政治的解決過程において見えてきた社会学的課題

(この項には追加資料はありません。)

2. アスベスト被害にみる新しい災害構造

-「職業」・「環境」・「公害」の枠組みを超えて―

参考文献

(阪本将英)

3. 座談会「今後の希望の方向性」(現ニチアスの脱石綿化)

 日本アスベスト(株)(現ニチアス)の「ニチアス株式会社百年史」(発行、ニチアス株式会社、編集:ニチアス株式会社社史編纂委員会、1996(平成8)年11月発行)によると、「1973(昭和48)年10月の第1次オイルショック以降約1年間に5回の値上げがあり、特に南アフリカ産のアモサイトは約2.8倍の価格となった。」「もう一つは、石綿粉塵による環境問題からの取り扱いであった。アメリカでは1960年代後半(昭和40~44年)から石綿による健康障害が叫ばれるようになった。わが国でも、昭和35年3月31日に公布された「じん肺法」で、作業環境規制等が行われるようになった。」「その後、1970年代になると世界的に環境汚染問題に関心が集まった。アメリカではニクソン大統領が特別教書を議会に提出、環境省を新設した。イギリス、フランスでも相次いで環境省が設置された。わが国でも昭和45(1970)年秋、臨時国会が開催され公害対策基本法の改正が行われ、1971(昭和46)年環境庁が発足した。1972(昭和47)年には労働基準法に基づく『特定化学物質等障害予防規則』も制定された。」(同p153)

 「こうした状況の中で石綿を見つめる周囲の目は厳しく、なかには石綿を公害源とするものもあった。現在の研究水準、開発技術からすると、その論拠のすべてが妥当と言いがたいが、当社はこうした批判を真摯に受け止めて、社を挙げて脱石綿への大きな動きに取り組みことにした。」(同p153~154)「とはいえ、この40年代後半からの本格的な動きは、脱石綿を果たし終えた現在の当社に直接つながるものであり、この四半世紀の当社の歩みは、一面では脱石綿の歩みそれ自体であったともいえる。」(同p154)

 「代替品の研究としては、すでに石綿代替繊維や補強用繊維の開発研究が行われていたが、46年郡山工場の一角に研究所の分室を設置して、補強繊維の開発研究を開始した。その補強繊維はシリカライトに代表されるけい酸カルシウム製品の補強用として、コブ付きロックウール、枝付きファイバー、カールファイバーの研究が進められた。47年アスベストフリーけい酸カルシウムの検討、アスベストフリー吹付け材の研究が開始された。」(同p154)

 「脱石綿化の研究  石綿を利用して製造されている当社の主要製品は、シール材、建材及び断熱材に集中している。シール材には、石綿ジョイントシート、石綿紐組パッキング、石綿見るボード等のように、主要材料に石綿を使用しているものがほとんどで、石綿の価値を最大限に利用している製品が多かった。(中略)従ってこの分野では、数多くの脱石綿化研究がこれまでなされているにもかかわらず、一部の分野では、完全な脱石綿は達成できていないのが現状である。」(同p154)

 「建材の分野では、石綿を主原料とする製品に吹付け石綿および石綿フェルト類があったが、これらはいち早くロックウールやマイカのような他の無機材料に置き換えられていった。問題は、石綿を補強繊維として使用している、アスベストラックス、マリンボードといった、蒸熱という過程を経て製造されるけい酸カルシウムボードの脱石綿化であった。ここでも耐熱性、耐アルカリ性および引張り強度を持った石綿の優れた特性をまざまざと見せつけられた。」(同p154-155)

 「断熱材の分野も建材同様、石綿保温材であるカポサイトが、耐熱性に大きな問題を残しながらもロックウールに置き換わっていった。それと同時に「石綿保温材」というJIS規格が廃止された。」(同p155)

 「NAプロジェクトの設置 1974(昭和49)年に入り、研究所では建材ボード類の脱石綿化(以下、フリー化とも表記)の研究開発を開始した。1975(昭和50)年4月には、アスベストラックスのフリー化研究が、10月にはフェルトン代替品の開発がそれぞれスタートした。とはいえ、当時のボード類では石綿含有量5%以下を基準にしていたため、より基準の厳しいアメリカ、ヨーロッパなどへの輸出製品には適用できなかった。そこで1976(昭和51)年には、アスベストフリーシリカライトの検討で完全無石綿保温材の開発を試みた。(中略)そこで、当社としてこれらの欠陥を払拭したフリー化製品の開発を強力に進めるため1981(昭和56)年2月2日付で研究所、本社各部、工場等全社的なメンバーで構成されたNAプロジェクト(Non Asbestos Project-NAP 総括マネージャー・音馬取締役)が発足した。(後略)」(同p156)

(名取雄司)