2005-2006年ホットライン、相談者の声

Voices 2005-06

 2005年から2006年にかけて、中皮腫・じん肺・アスベストセンターが継続して相談をお受けした、中皮腫や石綿肺癌、石綿肺等の方は、毎年100名以上にのぼっております。多くの方が労災補償や、時効労災、環境再生機構での認定をお受けになっています。今回は、その中でセンターに相談されたために認定等が順調に進んだ場合の3名の方についてご紹介いたします。

1)作業現場特定困難でも同僚証言で労災認定された例

 クボタショックの最中の2005年に当センターに電話でご相談いただいたAさんは、ご結婚前の数年間アスベスト吹き付け作業に従事されていました。しかしながら、その数日後に悪性胸膜中皮腫により亡くなられ、お話を直接伺うことが出来ませんでした。今から40年以上前のお仕事であり、当時、会社が本業とは別に事業拡大のために数年のみ携わったという事情から、事業記録が無く、現場が全く特定できませんでした。しかしながら、レントゲン写真にはっきりと胸膜肥厚斑が写っており、アスベストを吸われたことは明確でしたので、じっくり取り組むことになりました。

 その後、現場は相変わらず特定できませんでした。しかし、一周忌を迎えた頃、当時の出入りの業者さんから、Aさんが使用していたアスベスト吹きつけ機械が、事業撤退後しばらく社内に放置されていた事を伺いました。その方が当時の日本アスベストにも出入りされていた関係でAさんの会社が方法を学び、おそらくアスベスト会社と共に各地の現場へ行かれたのではないかということでした。幸運にもAさんの会社との関係付ける写真も見つかりました。

 ご相談いただいてから1年半後に、無事認定となりましたが、現場は未特定ながらも、やはり吹き付け機械が存在していた事が物を言ったのではないでしょうか。また、数人の仲間の方のご証言がいただけたのは、なによりも奥様の根気によるところが大きかったと思います。昔の事は思い出すのが難しいのですが、先入観無く色々な方にお尋ねになったのが結果に結びついたと思います。

2)医療相談員の方のご協力で無事に労災申請できた例

2006年に労災のご相談を当センターに電話でいただいたBさんは、悪性腹膜中皮腫を患っておられかなり症状が進んでいました。お仕事は内装業で、ご自身もアスベスト建材を扱ったご記憶がありましたので、表面上は簡単と思えるご相談でした。しかしながら、Bさんには別の病名が告げられていました。当初診断されたこの病名は追加の検査により否定され、悪性中皮腫である事が確定していたのですが、ご本人が調べれば希望の見出しにくい病気である事が分ってしまうので、病名を変更せずに治療されていました。

問題は、その病気では労災申請が出来ない事です。そこで、主治医さんからBさんに、「この病気はアスベストを吸った事により起きるので労災申請が可能だ」との説明をしていただきご本人の申請への意思を確認する作戦を考えました。現実の申請書には主治医さんがきちんと悪性中皮腫と記入するので、この方法は病名を告知されていない場合に功を奏します。

 実際には、医療相談員の方が、まず主治医さんにご理解を得ていただくようじっくり説明され、次にBさんに説明してくださいました。労災申請可能であることを耳にされて、大変に喜ばれたということでした。残念ながらBさんはその後間もなく亡くなられましたが、後に残るご家族への大きなご心配が消えた分、そのお顔は穏やかであったとのことです。雇用関係がはっきりしていた事もあり、半年後に無事認定されました。つらい痛みの為にご本人とお会いする事はできませんでしたが、医療相談員さんと主治医さんとのチームプレーにより微笑まれたそのお顔を想像させていただきました。

3)直接死因は『腹膜炎』だったが、労災認定された例

 Aさんは、昭和40,50年代、石綿スレート工場に勤務しました。2005年に肺がんになり、3カ月で亡くなりましたが、直接死因は腹膜炎でした。アスベストセンターで検討した結果、末期がんと因果関係がある腹膜炎と考えられました。また、解剖されており、胸膜肥厚斑(プラーク)が認められました。

 労働基準監督署に対し、石綿ばくろ作業10年以上、胸膜プラークという医学的要件を満たし、肺がんを原因とする死亡であるということを主張した結果、労災認定されAさんの妻に遺族補償年金が給付されました。