2003-2004年ホットライン、相談者の声

Voices 2003-04

 2003年9月から2004年8月に、中皮腫・じん肺・アスベストセンターでお受けした電話相談は、全国の北海道から鹿児島まで325件でした。吹きつけ石綿や石綿建材の飛散と防止策のご相談が約3分の1,石綿を吸入した方の健康診断や石綿肺のご相談が約3分の1,悪性中皮腫や石綿関連肺癌のご相談が約3分の1です。

 悪性中皮腫及び石綿関連肺癌の方のご相談は、総数で113件でした。医療相談を希望された方が36名いらっしゃり、労災補償のご相談を希望された方は77名でした。労災補償のご相談を希望された77名のうち、既に15名の方が労災(業務上疾患)に認定され、22名は現在申請審査中で、17名の方が申請の準備を行っています。残る23名の方の中には、相談を継続した中で病理診断が中皮腫及び肺癌と異なっていた事が判明した方、諸関係を考え労災申請を途中で中止された方、および環境曝露と思われる方々です。この環境曝露の相談が増加しており、調査及び対応が始まっています。

 石綿の健康被害が新聞やテレビで報道され、アスベストセンターの活動も何度か紹介されました。一方アスベストセンターのホームページを見て相談される方々も増えています。悪性中皮腫の発症原因の80%が職業性アスベスト曝露に起因するものですが、この事実を知る方はまだ少ないですし、悪性中皮腫などの石綿(アスベスト)関連疾患が、職業病であることはほとんど知られていません。この1年の相談に応じた特徴的なケースをご紹介します。

(注)アスベスト曝露(ばくろ)とは、「アスベストを吸ってしまう」という意味です。

1) 相談員が面会した後、まもなく他界されたAさん

 B県のAさん(当時40代)は電気工事士として電気店に勤務し、28年間にわたり住宅、ビル、工場、学校等の新築・増改築の電気工事に従事しました。右背部の腫瘤の精査から、悪性胸膜中皮腫と診断されました。2003年9月TVで見たアスベストセンターに電話をされた直後、Aさんの妻と姉が東京まで直接来所されました。Aさん夫妻は地元の労働基準監督署に相談をしたのですが、署員からアスベストを吸った証明が必要と言われ途方に暮れ、アスベストセンターを訪れたのでした。センターの相談員が至急B県に伺い直接Aさんのお話を伺った所、鉄骨造のビルの天井裏に入って配線工事をすることが多く、柱や梁のアスベスト吹き付けから石綿を吸入していた事がわかりました。しかしAさんの様態は急変し、センター相談員が面会して間もなく帰らぬ人となりました。

 ご家族とセンター相談員が元同僚の方と面談し、過去の作業内容と工事場所等の話を的確に把握しまとめを作成しました。ご家族とセンター相談員が主治医と面談し、レントゲン写真等を借用すると共に、石綿関連疾患の労災認定基準をご説明し、Aさんの作業歴等の申し立て書を提供しました。(こうした確認がないままでの労災申請は、準備不十分で業務外になったり、途中で認定作業がストップする事が見られています。)2003年10月末、アスベストセンター職員とご家族で、遺族補償給付等の労災補償の手続きを行いました。2004年2月、労基署は本省協議の末Aさんの悪性胸膜中皮腫を業務上と認め、遺族補償年金等の支給を決定しました。

 電気工事士は、吹きつけアスベストやアスベスト含有建材の石綿に曝露する機会の多い職種です。労基署職員がAさんご夫妻の相談に適切に応えていれば、早期に認定を得られたかもしれません。相談から面会までを急がないと、病気の進行が早いので、ご本人からの貴重なお話が伺えなくなりかねません。建設業の方からの以上のようなご相談は、現在最もよくお伺いする内容の一つです。

2) 船員保険で初めての悪性中皮腫の業務上認定 −笠原さん−

 広島県の笠原昭雄さんは1951年に入社。1957年まで蒸気機関をもつ貨客船・貨物船の機関室船員、その後ディーゼル船に乗船、1960年退社しました。蒸気機関船時代の中で、いわゆる「戦時標準船」の労働環境は劣悪だったそうです。石炭をたく釜の中には石綿セメントで固定されたレンガが積み重ねてありました。補修時には高温で崩れたレンガを掻き出すため中に入って作業し、石綿セメントをこねる時も石綿が飛散しました。保温・断熱のためいたる所に石綿布・ロープ・テープが用いられ、倉庫に保管されたものから必要な分をカッターで切断し使用すると、粉が光の中をキラキラ舞いました。配管に石綿布を紐状に巻きつけ、更に石綿布をかぶせ、その上からペンキを塗りました。

 2002年11月に病院を受診、2度目の胸腔鏡検査で悪性胸膜中皮腫と診断されました。医師から「アスベストに関係した仕事をしていないか?」と聞かれ労災申請も勧められましたが、手続き方法がわからず途方に暮れていました。2003年9月、地元紙に掲載されたアスベストセンターの電話の記事を読み東京へ電話をしました。電話と何度かの資料の交換後に、アスベストセンターから紹介をされた関西の相談員が広島に向かいました。

 船員の労災には船員保険法が適用されるため、申請は本社所在地の東京を管轄する東京社会保険事務局に行きました。11月に申請し2004年3月に正式に認定通知が届きました。「中皮腫の職務上災害認定事例は聞いたことがない」(東京社会保険事務局)ということでした。

 残念ながら笠原さんは2004年4月24日に永眠されましたが、ご意志から実名入りで新聞報道がされました。これを見た中皮腫の元船員からいくつかの相談が寄せられ、笠原さんの昔の同僚もその記事がきっかけで労災認定されるに至っています。(PDFファイル参照)

3) 定年直前に発病 −JR社員立谷さん

 兵庫県の立谷勇さんは、1964年に旧国鉄に入社(会社の記録では)1968年から1974年までディーゼル機関車の検修作業(点検整備)、その後は運転士として勤務していました。定年前の02年8月会社健康診断で右肺に水が貯まっているのがわかり、大学病院での胸腔鏡検査で悪性胸膜中皮腫と診断され、右胸膜肺合併切除術を受けました。その1年後ラジオでアスベストセンターの事を聴いた親戚の勧めで、ご家族がアスベストセンターに電話で相談をされたのがはじまりでした。その後関西の相談員が伺って労災申請するに至りました。

 立谷さんには当初石綿を使用した記憶がなかったのですが、同僚の証言から、車両の下のマフラーにアスベストクロスが巻かれていた事、パッキンにも使われており、溶接作業の際には燃えない手袋と前掛けとして使用したということでした。石綿曝露が旧国鉄時代であるため、労災保険ではなく国鉄清算事業本部が直接補償を行うことが決められていて、申請は国鉄清算事業本部西日本支社におこないました。支社の調査でもアスベスト曝露状況がすぐ確認され、3月31日付で災害認定通知書が交付されました。「労災認定されたからには長生きしよう」と言っていた立谷さんでしたが、惜しくも04年8月8日に旅立たれました。


 2000年-2002年悪性中皮腫は労災の認定率が95%の疾患です。認定される事の多い疾患ですので、あきらめずに労災保険での申請を行って下さい。ご本人やご家族や医師等の協力が申請には必要のため、申請前に相談して頂き必要な情報を事前に準備する事が肝心です。ご家族だけで不十分な知識のまま労災申請を行い、医師や会社等の諸関係がうまく行かず労災申請後に審査が停止、または労災不支給となった後に、初めて相談されるケースが増加しつつあります。申請前はもとより、申請中や後でも、お気軽にアスベストセンターに相談をして下さい。