Voices 2002
2003年7月
毎年冬になると、2〜3回位風邪で数日休むことはあったが、2002(平成14)年は春になっても時々咳と微熱が続いた。この所建設機材を貸し出す仕事をしており65才くらいまで現役でがんばれると考えていたが、この調子では今年あたりが限界かなとも感じ始めていた。6月に入りパワーシャベルの機械の上に腹這いになって、力をかけた時に今までにない息苦しさがあり、これはおかしいと思った。風邪の薬では治らず咳も出るし夜も息苦しくなってきて、6月17日市立病院で診察を受け、右胸水で入院し精密検査を受ける事になった。仕事先には事情を話し当分休むことで了解を得ました。
7月主治医よりCTや胸水の検査結果から悪性胸膜中皮腫の疑いがあると言われたが、しばらく何の病気なのか、わからなかった。「簡単に言うと肺ガンです。」と言われたが、40年以上喫煙はしていないし、毎年の胸部レントゲン写真は正常だし、両親兄弟親類を見てもガンで亡くなった人はいない。自分はいずれ死ぬなら心臓か事故だと思っていたので、原因を主治医に尋ねると「アスベストが原因ではないか。」と言われました。40〜45年前にボイラー製造会社でガス溶接工としてアスベストを吸入した事を話すと、多分それが原因であろうと言われました。ボイラー会社に勤めていたのは20代で、その後40年アスベストに関係する仕事はしておらず、40年もたってから発病する病気があるのか、と先生の説明後も信じられない思いであった。入院して各種の検査があり7月下旬、治療法としては右肺の胸膜肺全摘出術が最善で、過去にも手術をして元気になった人がいるので大学病院の外科を紹介された。手術に関する危険性の説明はなかったので、手術を受けるつもりで大学病院へ転院しました。
大学の主治医の説明では、胸膜中皮腫の手術は時間もかかる大きな手術で危険性も高いとの説明があり、大学で手術を受けて治るとの希望が絶たれた様でショックであった。それ以降精神が不安定となり、いつも死について考えて眠れなくなってしまった。この時主治医が妻に、「手術してもしなくても3ヶ月しかもたない人も多い、と説明があったそうで、妻は非常にショックだった。」という事を、後日妻から聞かされた。その後、家族や兄弟や親類と相談し、手術せずに化学療法を受ける目的で、ガン専門の病院に転院しました。
8月主治医より病気について、1)根治しない 2)抗ガン剤も殆ど効かない、きいても数%の確率 3)予後が非常に悪く1〜2年で死亡する、と改めて説明があった。覚悟はしていたが、やはりだめなのか、という思いもあった。自分のため家族のため皆のため苦しくても頑張って生きる決心をしたが、つらい日々の始まりであった。なんと言っても有効な治療法がないというのが、つらく悲しかった。
その時主治医より「中皮腫で50才代の人が労災で治療した事があるので、あなたも労災で行いますか?」と聞かれましたが、その時は「その意志はありません。」と答えました。というのは、昭和30年代ボイラー製造会社で溶接工として作業し、アスベストを吸入したのは間違いない事実だと思っていましたが、当時の人との交流もなくなっていたため私の作業を立証してくれる人がいない、思ったからです。労災の申請には当時の物証が必要な訳ではないのですが、その時の私はそういうものが必要なのだろうと思いこんでいました。ボイラー製造会社の後で長年勤めた仕事が運輸省に許認可の申請を行う仕事だったので、役所の対応は大体わかっていました。労働基準監督署に事情を話しても簡単に認めてくれることはないと、思いました。
しかし心の中では、「自分の落ち度がないのにガンにかかった。有効な治療がないまま、死んでいくのか。なんとしても悔やまれてならない。」そういう思いが募るばかりでした。しかし色々思い悩んでも、特にこれという妙案がある訳でもなく、誰と相談すれば良いのか見当もつかなかったため、妻にも悔しいけれどあきらめよう、と話しました。家庭の医学書などでは中皮腫の説明には全く書いていない本も多くて、どういう病気かわかるまでにも時間がかりました。患者にとってわかりやすい中皮腫の情報が少ないのは困ります。
9月頃より少し体調が良くなってきたので、身の回りのものの処分を始めました。山登りや写真撮影やスキーが趣味で、数年したら山登りを再開しようと思って残していた登山やスキーの道具、カメラと数百本のフイルムと写真、本や雑誌、仕事の工具等を処分しました。悔しい。人によっては老後をカラオケやスキーで楽しんでいる人もいます。しかし自分はもうできない。俺は死ぬのだ。色々考えると眠れない日も続きました。
10月夜米海軍横須賀基地のアスベストの訴訟のニュースの後に、NHKがじん肺アスベストの病気の相談ホットラインの電話番号を表示してくれました。40年前の出来事を取り上げてくれるのか半信半疑でしたが、電話で相談し当時の仕事内容や発症後の経過を説明しました。「今後の相談に一度東京に来てください。」と言われましたが体調が芳しくなかったので「行けません。」とお答えしてあきらめようとしたら、「それではご自宅へ伺いましょう。」と言ってくれました。10月中旬東京労働安全衛生センターの飯田事務局長とひらの亀戸ひまわり診療所の名取医師が相談にお二人で自宅に来て頂き感謝しました。
ボイラー工場に入社してからの仕事内容を説明、溶接時に大量の白いアスベスト・クロス(石綿布)を断熱のために使用した事、ボイラーの現地据え付け工事でのガス溶接の事、棟続きの工場でアスベストを入れていた事、を説明しました。お二人は「仕事による悪性胸膜中皮腫であると思います。労災の手続きをされるなら、仕事の内容をもう少し思い出してください。」と言って帰られました。2週間後に、資料をもって亀戸のビルの5階の東京安全センターを訪問しました。ビルの2階には、ひまわり診療所があり、診察をうけた後に相談ができました。飯田さんから「病理的にもアスベストが原因の悪性胸膜中皮腫だと思いますが、労災申請のためには、昔の作業や同僚のお名前を思い出しながら、労災申請の方向に行きましょう。」と言われました。
労災になりそうだという期待感と共に、40〜50年前の事を思い出すのが大変でした。昔とった写真から、「この同僚と山に登った。」「この時の宴会の写真に写るSさんは何課の人だった。」という風に又同僚からのはがきや日誌から、過去の記録を少しずつよみがえらせていきました。東京安全センターと相談、協力をしてもらい「ほぼ全部の作業や職歴がその通り。」と思える自己意見書(上申書)を作成するのに、半年はかかりました。途中では労災の申請は大変だからあきらめようと思った時もない訳ではありませんでした。
抗ガン剤の治療では、吐き気や元気がなくなりつらい時もありました。もう点滴をやめてほしいと何度か思いましたが、治療をしない事になり関係がなくなるのも心配で、主治医の先生の前では言い出せませんでした。中皮腫の症状として、息切れや痛みがある事を知ったので、胸の片側が痛かったりすると病気が悪化したのではと心配になりました。動いて息切れがくる様になるとも言われ、その症状の事も心配でした。
「必ずしも必要な訳ではないけれども当時の作業を一緒にしていた人がいると労災の申請が早く進む。」とのアドバイスがありました。つきあいが少なくなっていたので当時の同僚を探すのにも一苦労しました。以前もらった葉書の住所に試しにいって見ましたが友人は既にそこにはいませんでした。ところが隣の家の方が移転先を覚えてくれていて、電話し40年ぶりの再会をはたしました。訪問の目的を説明した所よく作業を覚えていてくれて、アスベストの事や作業の事を話して協力してくれました。申請の前には診断をした病院の主治医に、労災の説明を兼ねてひまわり診療所の名取医師に面談をしてもらい、医師意見書がスムーズに記載して頂ける様に準備しました。3月会社所在地の監督署に東京安全センターの飯田氏と共に労災の書類を提出しに行きました。その間監督署から医師意見書の依頼が医療機関にはなされたようです。5月監督署の担当者から本人聞き取りがありました。中皮腫としては異例の申請後2ヶ月の早さで5月末には、労災と認定されました。認定の通知は簡単な葉書で届きました。届いた時は夢の様な気持ちでした。
抗ガン剤の治療も色々な薬剤で何クールも行いましたが、中皮腫の進行は徐々に進んでいたようです。妻は副作用のある抗ガン剤より免疫療法を主体にした方が良いとの意見をもち、何とか治る抗ガン剤を選択したい私と意見が違う時もありました。最近は私も免疫療法を主にした治療を行おうと思っています。この間、家族のきずなを感じています。
平成14年7月悪性胸膜中皮腫と診断されアスベストが原因と言われた時は、これは仕事によるもので労災保険だ、と思いつつも40年という時間の厚い壁を壊す事は不可能と思っていました。しかしNHKのニュースでながれた相談ホットラインに電話して以降、労災と認められるかすかな希望がわいてきました。あのホットラインのニュースを見逃していたら現在どんな気持ちでいたかと思うと、怖い位です。中皮腫の方が以前にはいなかった会社でしたから、一人や家族だけではここまで出来なかったと思います。協力してくださったみなさんに感謝の気持ちで一杯です。アスベストと発ガン性の危険について、もっとマスコミが広く世間にしらせるべきだと感じます。私自身もアスベストが発ガン性があると知ったのは10年くらい前のTVか新聞の報道でした。しかし40年前の事は関係ないと思っていました。しかし自分の体験を通じ、40年前のアスベストが発ガン性を起こすことを知りました。
それにしても一日も早く、中皮腫に有効な治療方法ができてほしいものです。有効な治療が少ないため、アガリクスやプロポリスをはじめとした多くの民間療法にかなりの費用を毎月使います。本当なら労災保険で払ってほしい気持ちになります。