The 3rd Symposium 2004 Earthquake and Asbestos
中地重晴氏(環境監視研究所)
司会: それでは環境監視研究所の中地さん、地震直後に現地に行かれたとのことですが、業者の方や救援の方などのアスベストについての認識はどうだったのか? そういうことをわかって人命救助を優先されたのか、それともわかっていなかったのか、そういうのを含めてお話を伺いたいと思います。
中地: 最初に、地震がどうだったのか、写真を見ていきたいと思います。私は芦屋と神戸の境に住んでいました。当日の雰囲気です。書斎がメチャクチャです。
近くでは非常階段の落ちたビルがありました。
建設中の建物や電柱が折れています。
1kmに渡り高速道路の橋桁が倒れていました。
線路が曲がっている状況です。
震災当日、国道2号線では復旧作業、片付けをされている方が多かったです。
今迄のお話のように、確かに地震が起きた当初は自分達の家財道具を出すとか、人を助けることやライフラインの復旧をするわけで、私の意識の中にはアスベストのことはありませんでした。後で撮った写真ですが、火災が発生した現場ではこんな具合でした。
当初一番問題だったのは、例えば阪急三ノ宮駅の解体ですけれども、地震後1週間位の写真ですが、粉じんが発生しています。ここには業者さんも来て、解体しています。それでアスベストのことなんかもその頃から、私の所にお問い合わせが来はじめました。
ここからは吹き付けアスベストのあったような所をいくつかお見せします。例えば三ノ宮センター街のアーケードに吹き付けがありました。
寺園さんの話でもでてきましたが、1Lあたり160-250本といった高濃度のアスベストですね、ほとんど対策をとっていない解体現場で調査した時の現場写真です。
大越さんの話にもありましたが、はずした鉄骨をそのままトラックに乗せているところです。これはクロシドライトで青い色がわかると思います。
その横で掃除をしている、作業員の1人以外はマスクをしていません。当然、こういう風な状況下で、家財道具などを担ぎ出す人を見守っているという光景がしばらくの間、続いていました。
古い鉄骨でこういう風な形で吹き付けられたところが多い。神戸市内の中央区、繁華街ですと、有名な中華料理屋さんを含めて多かったです。