講演「中皮腫の免疫療法、遺伝子治療、分子標的治療」

Lecture by Dr. Inase

稲瀬直彦 医師 (東京医科歯科大学統合呼吸器病学分野 (呼吸器内科) 教授)
主催: 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 関東支部
中皮腫・じん肺・アスベストセンター

 私、稲瀬直彦は昭和の終わり頃、本日の講演主催者の名取雄司医師(中皮腫・じん肺・アスベストセンター所長)と共に、横須賀共済病院で昼夜を問わず働いていました。石綿関連疾患は横須賀共済病院時代に診療経験がありますが、現在は東京医科歯科大学呼吸器内科で呼吸器全般を担当しております。横須賀時代に石綿関連疾患を診療する経験があったため、環境省の中央環境審議会の専門委員(石綿による健康被害の救済に関する法律に基づく医学的判定)を務めております。

 胸膜中皮腫の治療は3本柱で、化学療法、外科療法、放射線療法となりますが、2000年頃まではこれらの治療が効きにくいと認識されていました。化学療法もやる意味があるか、やらない方が良いのではと思う程治療効果がありませんでした。化学療法では図に示した2003年の論文が重要で、シスプラチンとアリムタの第3相試験で初めて有効性が示されました。シスプラチンのみでは平均生存期間が9ヶ月、シスプラチンとアリムタでは12ヶ月に延びました。3ヶ月の差をどう考えるか意見が分かれるところですが、この領域では明らかに効果がある結果です。この頃から積極的に化学療法をやろうとする分岐点となり、日本では2007年からシスプラチンとアリムタで胸膜中皮腫を治療される方が激増しました。しかし胸膜中皮腫に対して化学療法をずっと続けることが全て良いわけではなく、化学療法に一定の限界があるのもまた事実です。

 胸膜中皮腫の治療の全体像を図にお示しします。外科療法として、中皮腫の進行ステージの早い段階の方には、胸膜肺全摘術を行ないます。この治療は根治的手術ですが、体への負担が非常に大きく、手術になれた医師でないと難しいという課題があります。もう一つの胸膜剥皮術は胸膜肺全摘術と比べると負担が少ないものの技術的に難しく、胸膜剥皮術で根治例がでるまでには至っていません。放射線療法は根治という点で補助的ですが、疼痛緩和としては意味があります。標準化学療法で少し中皮腫を小さくして胸膜肺全摘を行いさらに低照射の放射線療法が最も強力で、これを行う病院もあります。温熱化学療法も補助的療法で、分子標的治療も試されているという状態です。その他の治療には、免疫療法、遺伝子療法、レーザーのような光線力学的治療などがあります。結論を先に申しあげますと、その他の治療が出てくる背景には、化学療法・外科療法・放射線療法の標準的治療が中皮腫の場合十分うまく行かないため色々と努力してきた治療がある訳ですが、それぞれの効果はいま1つというところです。昨今の風潮として分子標的治療が期待されています。

 胸膜中皮腫の免疫療法の考え方は昔からあり、自分の細胞の力で腫瘍を押さえてゆくというものです。自分の免疫を逃れて大きくなったのが、がんですので、簡単には行きません。中皮腫の領域で使われたのは、主に2つで、図に示したインターロイキン2(IL−2)とインターフェロン(IFN)です。

 図は、胸腔内にインターロイキン2を投与した2001年発表のイタリアの研究ですが、第2相試験で胸水の溜まっているところ、奏功率22%(31人中7人)でした。少しは効いている程度で、十分効いている数字ではありません。奏功率とは、治療をされた患者さんの中で、腫瘍が消える状態や腫瘍面積が半分になる状態が1カ月続いている患者さんの割合を示したものです。

2002年の研究では、インターフェロンガンマーを自分のマクロファージを活性化させた上で投与しましたが、奏功率は14%でした。これらの結果から、第3相試験に進むということにはなりませんでした。中皮腫の免疫療法はその後も細々と研究が続いていますが主役になっていません。期待はかけにくいのが現状です。

胸膜中皮腫の遺伝子治療が、夢を持って語られたのは1990年代でした。胸膜中皮腫は標準的治療がない時代で、遺伝子治療はどうかということで私もその一人として、自殺遺伝子を研究していた時期がありました。

 中皮腫細胞にヘルペスウイルスが持っている自殺遺伝子を入れます。さらにGCVデノシンという抗ウイルス成分を入れると、この2つが合わさって細胞を傷つけ殺してしまいます。この仕組みを中皮腫に応用した理由は、バイスタンダード効果と言い、入れた細胞の隣の細胞にどんどん広がってゆく現象があったからです。胸膜中皮腫は、局所的に胸壁を浸潤する特徴があり手術で採りにくいので、この仕組みを応用すると効果的でないかと考えたからです。

 この仕組みを最初に考えたのは、アメリカ・フィラデルフィアのスティーブン・アルベルダ先生です。1995年の論文(上)を読んで、私もこれは良いと思いました。モデルはネズミで、治療をすると腫瘍を押さえられました。その後1998年に第1相試験を行なっています(下)。

 私たちも基礎的研究として、単に自殺遺伝子を入れるだけでなく、自殺遺伝子の上に腫瘍特異的プロモーターを組み込んで、中皮腫に入れる工夫をする研究をしました。正常な細胞では何も起こさずに、中皮腫に入った時のみ作用するスイッチのような物を入れたらどうかという発想でした。

 中皮腫特異的プロモーターとして、Calretinin(カルレチニン)プロモーターと、Keratin19(CYFRA)プロモーターを何年か研究しました。実験的に上手く行きましたが、人体に応用するにはいくつもの壁がありました。アデノウイルスを使っていましたが、体に安全なのかなど研究していました。アルベルダ先生が人体に応用したことを耳にして日本での試験はどうかと手紙を書いたところ返事が来ました。国を越えて遺伝子を共有することは難しく価格が一本150万円でそれを何本も使うので無理があるのではと言う内容で、私は地道に研究することにしました。

 アルベルダ先生の研究は良い結果が出ず、陽の目を見ませんでした。2005年の論文(上)では、これぞという患者さん21人に高用量の遺伝子治療を行なった結果がありますが、2人のみ長期生存で劇的効果はなかったということでした。しかもこの2人は直接的な腫瘍効果でなく、それに伴う免疫的効果で生存したと結論しています(中)(下)。理由は様々だったようですが、自殺遺伝子研究は幕を閉じました。結局、免疫反応研究に戻ったのでした。

 今アルベルダ先生は、インターフェロン遺伝子を胸腔内に入れるとインターフェロンそのものは消えてしまうかも知れないが、遺伝子の効果は広がってゆくのではないかという趣旨で研究をされているようです。2011年の論文のインターフェロンの遺伝子を入れた試験ですが、データとしてはまだまだです。年1回のアメリカ胸部疾患学会でアルベルダ先生が表彰され、私も講演を聴きました。題名は「長く曲がりくねった道」で、ご苦労されている様子が伺えました。

 最近の試みとして、少し遺伝子治療とは趣が違いますが、腫瘍溶解性単純ヘルペスウイルスがあります。ヘルペスウイルスに遺伝的操作を加えて、脳腫瘍や大腸がんや乳がんに入れた時のみウイルスが増えてがんが溶けることを目指している研究者がいます。中皮腫へ応用してみてはどうかということです。

 腫瘍溶解性センダンウイルスは、中皮腫に対して実験中です。私の知る限りでは遺伝子治療で、2014年6月段階で人に対する臨床試験は行なわれていません。2014年6月段階で、まだ成果はないという状況です。

 分子標的治療は抗がん剤の一種です。肺がん治療の分子標的薬であるイレッサは、2002年から使用されています。この例では85歳の方のがんがほとんど無くなっています。このような劇的効果は従来の抗がん剤にはないので、びっくりした訳です。但し、ごく一部の人にしか効かないこともわかってきました。狙いが合った人だけに効くのです。逆に効かない人には全く効かないというメリハリのあるのが分子標的治療の特色です。 

 イレッサが効く場所もわかっています。がん細胞の増殖因子の受容体(EGFR)という部分が暴走するとがん細胞が増えてゆくので、ここにイレッサが効くのです。しかし、この暴走以外の理由でも肺がんになるので、その場合は効きません。

 肺がんの中では、腺がん(肺がんには、他に小細胞がん、扁平上皮がん、大細胞がん、等ある)に多いタイプですが、その内でイレッサの対象となるFGFRの遺伝子変異のある場合は半分くらいです。遺伝子のタイプがだんだん解って来て、ALKというタイプがあり、2013年4月にはALK対象の薬が出ました。

 肺癌(腺癌等)を遺伝子でタイプ分けをして、それぞれに対応する薬を作る時代になって来ており、個別化医療という表現をしています。ただし、肺がんの中で扁平上皮がんがとり残されていて、分子標的治療の恩恵を受けていません。

 

 胸膜中皮腫に、肺がん他の分子標的治療が効くのではないかと、市場に出ている分子標的治療薬を中皮腫に片っ端から試し研究している面があります。

 レセンチンは大腸がんには効きますが、胸膜中皮腫では奏功率9%でした(47人中4人)。つまりあまり効果はありませんでした(PPT24)。

 スプリセルは慢性骨髄性白血病の薬で、分子標的治療では最も成功した薬です。効果も持続する夢のような薬ですが、中皮腫には全く効きませんでした。

 アバスチンは、大腸がんや肺がんで使う薬です(上)。アバスチン有りと無しの2群に分けて胸膜中皮腫に臨床試験をしましたが、結果は両者の差が全くありませんでした(下)(下二つ目)。アバスチンを加えても何も変わらないという大変残念なものでした。肺がんでは効果的なのですが、中皮腫では効果がないという結果です。2014年前の数年の研究結果では、中皮腫の分子標的治療は否定的な結論が多くなっています。

 中皮腫にはこれという薬は2004年時点では見つかっていませんが、狙いが間違っていたのであり何かあると思います。他のがんの薬に頼らないで中皮腫の遺伝子を狙って劇的変化をもたらすことが出来る目標を見つける、中皮腫ならの特色を見つける事が大切です。

 候補になる標的分子はたくさんあります(CD26、Wnt2、BMAL1、BAP1、NF2、CDKN2A、PI3K/mTOR)。これらの遺伝子に狙いを定めて行くのが現状です。

 歴史的に免疫療法、遺伝子治療は行なわれてきましたが、効果は限局的であまり得られなかったので、2004年段階で新たな分子標的治療が狙いになりつつあるということです。ご清聴どうもありがとうございました。

(主催者注:当講演は20014年6月に行われた内容です。その時点の内容として、お読みください。)