建設の仲間支援と東日本マスクプロジェクトが始動!

永倉冬史
地震・石綿・マスク支援プロジェクト代表
中皮腫・じん肺・アスベストセンター事務局長

 3月11日、東日本大震災が発生、広い地域で大津波が発生し、東北地方の海浜地帯は広範囲に大きな被害に遭いました。多くの方々が波にさらわれ、残された人々も困難な避難生活にさらされています。建物への被害も甚大なもので、津波に襲われた地域は全く跡形も無く市街地が破壊され、津波に遭わなかった地域についても、震災による建築物の倒壊、半倒壊などが見られ、さらに重大な福島第1原発の事故、放射能による広範囲の汚染が被災地の人々に大きな不安を与え続けています。

 地震発生から2週間後の25日、被災地のアスベスト状況を確認するために、東京センターの仲尾さんとともに、被災地に向かいました。仲尾さんが福島建労にブルーシートや生活必需品などの支援物資を運び込む車に便乗しました。25日は福島建労事務所(福島県大玉村:原発から西に60キロ地点)で1泊、事務所は避難所となっており、数家族が避難していました。

 

仙台市街地

 翌6日、仙台市に入りました。市街地は一見大きな被害はないように見えました。仙台市役所を訪問。建築指導課に出向き、震災後の調査や復興時にアスベスト粉じんの発生することを話し、粉じんマスク(簡易マスクN95タイプ)を500個を提供しました。

 市役所では駐輪場の天井建材が一部落下、天井裏の梁の吹付け材が目視できる状態になっていました。駐輪場で、アスベスト粉じん濃度測定を行いました。  

市役所からJR仙台駅へ向かい、駅周辺の建造物を徒歩で確認しました。仙台駅ビルは閉鎖状態。駅ビルの付属店舗は、店舗ごとに倒壊状態を示す建物診断の診断票が貼ってありました。駅周辺の大型店舗ビルは、壁が一部剥がれ、建物全体に渡るひびが広範囲にはいっているものがありました。

 鉄骨で組まれた駐車場では、封じ込めされた吹付け材が一部落下した形跡がありました。また、天井のある路地で、天井の吹付け材が落下した跡があり、地面は掃除されていました。大規模店舗の屋上の広告塔が大きく傾いていました。

 

仙台市若林区

 若林区へ車で向い、市街地から東の方向の海方向へ移動すると、突然田んぼが一面どこまでも泥で埋まり、ところどころに流されてきた立ち木などが点在する景色になってきました。ところが、沿岸に沿って走る仙台東部有料道路の下をくぐると、景色が一変します。有料道路の土手沿いに、大量の立ち木が根こそぎ倒れ重なっており、その間に車があちこちに逆さになったり横倒しの状態で残されています。有料道路から海に向かいほとんど何も残らずに押し流され、田んぼの広範囲に今だ大量の海水が残っており、その中にも車が点在しています。電柱の多くが根本からなぎ倒されており、一部、家が残っているものもありますが、軒下まで水に浸かった跡が見られます。

 この地区では、一部屋根のかわら材などのほか、アスベスト建材は確認できませんでしたが、津波に流された建築物には混在しているものと考えられます。この段階ではアスベスト問題以前に、排水や倒木、廃車、片付けなど、復旧にかかる作業が山積していると思われる状態でした。

 

第二次調査

 4月9日、10日と第二次調査に、津波で市街地が広範囲に被災した南三陸町へ向かいました。9日には前回と同じ福島建労にお世話になり宿泊しました。福島建労では、粉じんマスクを500個提供し、組合員の粉じん対策をお願いしました。

 翌10日は、高速道路のパーキングエリアで、全統一労働組合が中心となった「名無しの救援隊」の救援物資配送のチームと合流し、彼らの先導で南三陸町へ向かいました。「名無しの救援隊」チームは救援物資を満載した10トントラックとワゴン車1台で現地入りし、南三陸町の避難所になっていたベイサイドアリーナという大きな総合運動施設に向かいました。そこは、救援物資の受け入れ先になっており、私たちもマスクの装着方法を印刷したチラシとともに、防じんマスク500個を提供し、担当者に趣旨を説明しマスクの配布をお願いしました。

 そこから、津波でほとんど建物が倒壊し無くなっている市街地に戻り、現地の目視調査と濃度測定を行いました。がれきの片付けの状況は、まだ始まったばかりというところで、自衛隊の隊員が防じんマスクをし、重機でがれきを大まかに分別しているようでした。

 最初は、やや山側で建物が全く津波で流されてしまった地域の、重機が稼動している付近で濃度測定を行いました。足元を見ると一面に波形スレート板の破片や、フレキシブルボードの破片、サイディングボード、アスベスト含有の屋根材などがごろごろとしていました。これは、一定のところにまとまってあるというより、広範に一面に広がっています。

 そこから、海側に向かい、海岸線からやや内側を丹念に見て回りました。大きな力でぐにゃぐにゃに捻じ曲がった鉄骨が、あちこちにまとめられていましたが、一部には海の砂か吹付け材か見分けがつかないものが張り付いているものが見られました。

 いくつかのまだかろうじて残った建造物は、鉄骨造のものが目立ちました。ガソリンスタンド、銀行と見られる建造物には吹付け材が認められましたが、のちの分析結果はロックウールの吹き付け材でした。しかし、現場ではいちいち分析が行われずに解体作業が進むことになるので、吹付け材についてはアスベスト含有とみなして工事を行う必要があります。

 海に近く津波によって破壊的な被害を受けた地域で、数箇所の濃度測定を行いました。測定値は、幸い現時点ではアスベスト粉じんは観測されていません。今後、被災地が乾燥し、解体・改修工事が進むにつれて、アスベスト粉じんが発生することが考えられます。山に近い地域と同じように、この地域でも、アスベスト含有建材は満遍なく広範囲に見られました。多くのアスベスト含有建材がそもそも使われており、それが津波の力で粉々に粉砕され、町中にばら撒かれたということのように見えます。

 南三陸町の調査では、現時点でのアスベスト粉じん濃度はまだ低濃度でしたが、町中にアスベスト含有建材が散乱しており、今後の片付け作業では、乾燥状態や風向きなど気象条件によって、アスベスト粉じんが発生する可能性があります。作業者、ボランティア、住民の方たちの防じん対策が求められます。

 今後も、現地の粉じん濃度の継続的な測定とその結果の情報提供が重要です。